にちようびの言霊

お話貯蓄用→改装→覚え書き用

覚え書き 朝1時間半で私を救う『みたり』

 

 

 

4月2日に入社式を終え、社会人として元気いっぱい働かせていただいてる中、2年前に突き放したはずの悩みが帰ってきた。

 

片道1時間半の通勤。

辛い、マジで辛い、2時間の通学が嫌で嫌で1日たりとも授業に行かなかった月が確か1回生の時にあったけど、それくらい私は電車での通勤通学が嫌いだった。

 

あっそういえば5月半ばに配属支店が決まりまして。

 

神戸支店になりまして!!!!!!!!!

 

ミント神戸でして!!!!!!!!!!!!

 

皆様ご飯に誘わせていただいてもよろしくて!?!?!?!?!?

 

私的には当たり中の当たりです。

 

まあそんな訳で今毎日せっせとミント神戸に通ってまして、まあ阪神だと実は奈良から乗り換え無しでいけるし、1時間くらいは絶対座れるし、乗り換えが3回もあって絶対座れなくてしかもさらにバスにも乗らなきゃいけない大学時の通学よりはそれはそれは楽なんですけども。

 

でも嫌いなもんは嫌いじゃん!!!!!!

昔から電車を利用するのがほんとに……苦手で。ていうか共に電車を利用している他の人が嫌いで。

 

満員電車は不快だし、環状線やら鶴橋あたりだと色んな目にあうし、

スマホ見てたら画面後ろから見てるやついるし、駅で△に並んでくださいって言われてるのに〇に並ぶやつは多いし、降りる人間待たずして乗るし。

 

東京に旅行に行った時はこんなこと全然なかったんですけど…………関西人の電車の乗車マナーマジどうなっとん???せめてもの抵抗に満員電車の中で納豆巻き食うたろか。

 

 

こんな風に苦手意識を持ってると身体にもそれが出てきて、別に働いてる時も家にいる時も元気なのに通勤で電車にいる間はなんか吐きそうお腹痛い熱っぽいっていうことが多かった。

 

通勤中はソシャゲかYouTubeで時間を潰すことが多いのだけど、それだけ体調が悪くなると酔うこともあるので、音楽に切りかえて大人しく景色を見るようにしてて。

 

 

聞く曲はほんとにごちゃごちゃなんだけど、その日その日で気分の曲を何度もエンドレスで聞くことが多くて、でもその中でも171……171さんって、バンドにさん付けってなんか変?別に変ではないか、171さんの「近況報告」の曲の登場回数が爆裂に多かった。

 

色んな曲をうろちょろして、この間は何日か続けて『みたり』を聞いていた。

 

https://music.apple.com/jp/album/%E3%81%BF%E3%81%9F%E3%82%8A/1563851214?i=1563851218

 

お腹痛いなぁって思いながら東大阪の低くて平たい街並みが左に飛んでいくのを眺めていたら、何となく急に、物理で出てきた振り子が頭の中に浮かんできた。

あの、1個じゃなくて、だんごみたいにくっついてるやつ。

 

f:id:naaasux:20210525192206j:image

 

↑これ!こいつこいつ。

ニュートンのゆりかごって言うの知らんかった。ていうか光らす必要はあったん?

 

とにかくこれが急に頭に浮かんできて。

 

何でかわかんないけど絶対原因これ(みたり)だと思った。

 

なんでだろうなぁって思ったんですけど、ぼうっと考えてたら、なんか『みたり』ってこれみたいだなぁって。

 

というより、大きい話だけど、人生ってこうなのかなぁって。

 

生きてたら、なんかついてる日もあるし、どれも上手くいかない日もある。いやいや、流石に出来すぎやわ、誰か見てるん?って思うこともあるくらい。

どっかのタイミングで適当に言ったことが、ある日別のチャンスに繋がったり。誰かから好かれたり、嫌われてしまったり、怒らせたり、喜ばせたり。

 

全部明確に因果があるとまで考えてしまうと、それはちょっと生きるのが辛くなってしまいそうだけど、でもなんか、見えないところでよくわかんない理屈で日常のあれとそれがふわっと繋がってるような気がしてくる。

端っこの振り子がぶつかった衝撃が、目には見えないけど真ん中の振り子を伝わってもう一方の振り子を動かすように。

 

勿論人生は4つ5つくらいの振り子が一直線に繋がったような単純なものじゃないので、イメージするとしたら、木の枝みたいに、縦横斜め関係なく、無数の振り子の玉が四方八方に伸びたりくっついたり曲がったり分かれたりしている、そんな感じ。

伝わる?伝われ。伝わってくれ。

 

それだけ複雑だから、何かの振り子が揺れ動いたとしても、どの振り子からどのルートを辿って衝撃が伝わってきたのかはわからない。

 

〇〇があったから××になった、××になったから△△が起きる、とは言えない。

でも、今××になったのは何かの、何かはわからない何かの影響だし、××をしたことで未来に何かが起こるのだ。何かは分からないけど、何かが。

 

目に見えないけど繋がっている、それが私が勝手に『みたり』の中に見た日々と人生だった。

勝手になのでぜーんぜん違うかもしれない〜〜〜勝手に色々言ってごめんなさい。

 

 

 

私は変な人間で、人見知りはしないけど保守的だし、毎日機嫌よく生きて何だって楽しめるくせに人一倍裏で執着することをやめられない。

 

幼稚で仕方なくて、六甲とROCKへの執着を手放せない。似たような感覚を持ってて毎日辛い人も中にはいるかもしれないが、私は毎日ご機嫌だ、多分私が脳天気なせい、毎日が楽しいくせに辛いと思うのは、本当に毎日ご機嫌になれずにいる人に申し訳ないのだけど…でもやっぱり私は、みんなと一緒がいい。

 

ずっとみんなと一緒にいれたらいいのにって、今でも全然ガチで思ってる。

勿論新卒の同期に仲のいい人もできたし、みんないい人だし、みんな好きだけど、私はみんながいい。無理なんだけど、でもみんながいい。

 

 

しかも、多めの人数から仲良くなるのが苦手な私は、30人くらい新卒だけで集められて授業のように1箇所で研修を受けていた4月の間は、ほんとに何だか周りにとけこめなくて。

昔から、1クラスくらいの規模でいつメンという自分の居場所を作るのがどうにも苦手なせいだと思う。

 

それもあって、余計に執着を強めて、終わりを割り切りたくない自分のわがまま加減に、ほとほと自分で嫌気がさしていた。

 

でも、『みたり』を聞いて、もしかしたら、まだ終わっていないんじゃないかと思えた。

 

社会人になって新しい人たちと接するようになったからって、全部を終わらせなくてもいい。

 

私がライブをしたとか、練習をしたとか、そういう事実は確かに過去になってしまったけど、その事実はこの先、私か誰かの身に何かを起こすかもしれないから。

 

後輩にもっともらしく話をしてみたことも。

電話して気づいたら朝の5時半になってたことも。

思いつきで誰かを泊めたり、誰かの家に泊まってみたりしたことも。

誰も喋らない終わってる二次会に高いお金を払ったことも。

 

全部終わってなくて、いつかまた何かを起こすのだ。きっと。

 

そう思えることは、私にとって大きな大きな救いだった。

 

 

 

 

最後に、覚え書きを書くに至ったことについて。

 

少し前に、月ノ美兎というバーチャルYouTuberのエッセイを読んだ。

 

「月ノさんのノート」↓

https://www.amazon.co.jp/%E3%80%90Amazon-co-jp-%E9%99%90%E5%AE%9A%E3%80%91%E6%9C%88%E3%83%8E%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88-%E7%89%B9%E5%85%B8-%E8%91%97%E8%80%85%E6%89%8B%E6%8F%8F%E3%81%8D%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88-%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E9%85%8D%E4%BF%A1/dp/4040647777

 

普通にダイマになるけど月ノ美兎はいいぞ。

ていうかにじさんじはいいぞ。

 

ほとんど発売日くらいに読んだんですけども。

そのあとがきに、目を引く文章があった。

 

 

彼女は、初めてエッセイを書いて、人が自身のことを書き記すとして、「嘘もつかずに一本筋で書き示す」ことはとても困難だと気づいたと言った。この時のことをどう書こう、と、自身の中の演出家と悩み、折り合いをつけ、真実と脚色を織り交ぜて書いていく必要があると。

 

それを受け、「自分は、自分のためだけに演出家になれる!」と書き、更に「これってすごく、希望だと思う」と付け加えた。

 

この一文が私にはものすごく響いた。

私は昔から自分の考えを、こんな風にホームページを使ったことは無いけれど、よく文章にすることで整理してきた。自分の中に彼女の言う演出家がいることも早くから自覚し、そして自分にとって都合の悪いことを隠し、脚色してしまいそうなその演出家の存在を恥じていた。

 

誰に言う訳でもないけど、自分で自分に言い訳をするような、屁理屈をつけるような、そういう逃げやずるに繋がってしまうと思っていたから。

 

だからこそ、その演出家の存在を、希望と言い切る彼女の強さに痺れた。

 

勿論それは、もとより彼女が強かったのかもしれないし、彼女が自身の中の演出家との格闘や協働の末に、きちんとお金になる面白いものを作り上げたという自負から来ているのかもしれないが、そのどちらだとしてもとにかくかっこよかった。

 

そしてまた不思議なことに、こうまで希望だと言いきられるとそんな気がしてくるのだ。

そうか希望か、と、自身の中の演出家が何だかいいやつに見えてくる。

 

まあ私が単純だからかもしれないんですけど。

でも、印象ってきっかけがあれば簡単に変わることもあるし、

だったら笑う門には福来るじゃないけど、先に「希望」と名前をつけてから、ポジティブにそいつと付き合っていくのも悪くない気がする。

 

 

電車の中、不意におりてきたニュートンのゆりかごと『みたり』との関係に気づいた私の頭の中に、真っ先に思い浮かんだのが先述の『月ノさんのノート』の文章だった。

 

 

過去にあったどんな事実も、

どんな関係も、

どんな時間も、

見えないけれど確かにこれからの何かに繋がっている。

それってすごく、希望だと思う。

 

 

人生がほんとにこうなっているかはわからないし、みんなにそう思って!とは考えてないけど、

未だに区切りに戸惑う私が、自身の幼稚さと上手く生きていく処世術として、そう考えるのはアリなんじゃないかと思うのだ。